おもに、シンガポールでの生活を綴ります。

2012年10月31日水曜日

ハッピーハロウィーン!

玄関でピンポ~ンと音がするので、

また家人が鍵を忘れたのか~、と戸を開けると、

『トリック or  トリート!』

小さいインド人の女の子がひとり、

顔に面白いペイントをして立っていた。

アッ、今日はハロウィンか~。しまった~、お菓子なんにもないよ。

冷蔵庫を探したら、食べかけのミルキーがあったので、

カゴの中へ全部入れた。


後で、次女に、話したら、

「あれもう、紙と飴くっついてたやつだよ~。」だって。

ごめんね~、懲りずに来年も来てね。
何かいいもの用意しておくよん。

でもよく、うちに来たね。
このフロアには小さな子はいないし、
うちの両隣は、どっちも何人ものおじさんたちが、シェアしてる 部屋だし。

しかし、あの顔のペイントは、なんだったんだろう。
ハンターハンターに出てくる、きつねの顔にある模様みたいだったけど。
(ハンター試験会場へ案内してくれるきつね)

2012年10月29日月曜日

シンガポールに残った日本人

先日、教会の婦人たちによる老人宅訪問があった。

一緒に行った5人の中に、名前が、インド系、
見た目、中華系のご婦人がいた。

そのことを問うと、
「そう、よく言われるのよ。顔は、中国人なのに、どうして名前はインド人なの、って。」

聞けば、なんと、
彼女の実父母は、日本人だった。

戦前、彼女のお母さんは、日本語教師として、シンガポールで、働いていた。
同じくこちらで働いていた日本人男性と知り合い、1942年、彼女が生まれた。

1945年、戦争が終わり、男性は、日本に帰った。

けれども、彼女のお母さんは、一緒に帰らなかった。
シンガポールに残ったのだ。

男性には、日本に妻子がいたから。

彼女とお母さんは、マレー語を話し、ニョニャ(マレーと中華の混血)を装って
暮らしたという。
日本人だとわかると、殺されたから。

だから、私は、日本語を話せない、と彼女は言う。

その後、彼女のお母さんは、インド系シンガポール人と結婚し、
彼女に弟ができた。

こうして、彼女の名前は、インド人の名前になった。

3歳までは、日本名で暮らしていたんだよね。

ニョニャとして、インド人として暮らした彼女の人生。

戦後、シンガポールに残る選択をした日本人は、
どれくらいいるんだろうか。

シンガポールガイドの顔(がん)さんが、出会った元からゆきさん
その後どうしたのだろう。

インディアンロジャック

2012年10月26日金曜日

ジャランカユのプラタ屋 THASEVI FOOD

悲しいアニマルリゾートを後にして、日本人会月報10月号2012年、
に載っていたプラタ屋(THASEVI FOOD)で食事。

マカンストラ掲載のロティプラタを食べてみよう。

ロティプラタは、インド人労働者の食事だそうな。

写真はオニオンプラタ。1.3ドル。パリパリ。
テタリ、 1ドル。

チーズプラタ、1.4ドルは、もちもち。


プレーンプラタが1枚1ドルで、2枚から。


美味しいけれど
美味しいプラタ屋は、結構あちこちにあるしね。




帰りは、103番のバスで、セラングーンMRT駅へ。

南北線途中下車し、ムスタファセンターで、小さいオクラを買って帰る。

日本のような小さいオクラは、ここで買える。


ジャランカユへ行こう

日本人会の月報、南十字星の10月号、2012年に

シンガポール散策として、

ジャランカユが取り上げられていた。

アニマルリゾートってところがあるんだって。

オススメだって。


行ってみたけど・・・・

アンモーキオMRT駅から、バス86番。

歩き始めたけど・・・・

ここ、今、工事中。

道路かなんかをを作っている ?

FARMWAY4は、途中で通行止め。
FARMWAY6をぐるっと回って行く。

大型トラックやミキサー車の巻き上げる埃の中、
左に、ズラ~と続く道路工事で働くインド人の飯場を見ながら、

かれらが、捨てたと思われるゴミが散乱する道路脇を見ながら、

(なんだか、茨城県の山林の中に似ているな、と思いながら)

到着。


そこにいたのは、

皮膚病の馬、
毛引きの白色オウム、
ほえまくる犬(犬の姿は見えない)。

人参を2ドルで3袋買う。
1袋には、人参のうすいスライスが5~6枚。

人参を食べ終わった馬は、植わっている木で、背中や腰を掻く。
(かゆいんだね)

じゃ、バイバイ、と言うと、
馬は突然走りだし、柵を飛び越すかと思われる勢いで、柵手前で急ブレーキ。
これをくり返す。
柵を食わえて持ち上げようとしたり、
前足で、開けて、と言う。(言っているような気がする)

退屈だよね。一頭だけだもん。

ずっと遊んであげられなくてごめん。

毛引きの白色オウムは、ずっと悲鳴をあげていた。

いったいどうしたんだ。

コインクリートの仕切りの中で豚でも買っているのかな、と思ったら、犬。

ペットホテルもやっているんだね。

悲しい気持ちになるアニマルリゾートだ。

また、インド人の飯場の横を通って帰る。

シンガポールの繁栄の対極をなす場所だ、ここは。





2012年10月24日水曜日

ヒルクレストへお出かけ

ブキティマロードから、北へ、
ちょっと住宅街へ入ったところにあるヒルクレスト。

近年欧米人好みの店やレストランが増えているそうな。

ブキティマにお住まいの絵手紙の友達の案内で探索。

ま、でも、お昼は安いローカルコーヒーショップ。

LUCKY  PLACE  COFFEE SHOPで、フィッシュボールヌードルを食べる。
 73 Hillcrest Road

美味しい。

ここのチャーシューは、美味しいとローカルの方々に評判だそうな。
買わなかったけど。

並びのBAKER&COOKで、
  77 Hillcrest Road

バゲット、ダークチェリーチョコカップケーキ、チェリータルト、クロワッサンを買う。
近年、ニュージーランドの方が開いたお店だそうな。

お味は、普通。

こじゃれたレストランを見ながら散策し、
スイスブッチャりーの並びのケーキ屋、
予約しないと買えないと評判の

LANA CAKE SHOPで、
  36 Greenwood Avenue

予約なしで、チョコレートケーキを買う。(友達が)

途中 、数々ある豪邸を値踏みしたり、
トニータン(シンガポール第7代大統領)の家を警備する警察官を眺めたりして歩く。

チョコレートケーキを手土産に、(シンプルで美味しい)
友達の、友達(中華系シンガポール人)のお宅へ寄る。

日本軍占領時代に習った日本語を、少し話してくれた。

こんにちは、やさようなら、の発音が、とてもきれいだった。

シンガポールの植木屋、hawaii で鉢植えを買う

シンガポール西部、ジュロン地区にも植木屋、
Far East Flora,
6 Yuan Ching Road (チャイニーズガーデン奥)
はあるが、



マクリッチー公園の向かい、トムソンロード沿いには、5~6件もの大型植木屋の集まる一角が
あるので、そこへ行ってみた。(Far East Floraはここにもある)

使ったバスは157番。
マクリッチー公園前で降りて、道の反対側へ渡る。

クリスマス前には、モミの木やオーナメントがいっぱい売られるそうだが、
今はまだない。

花材もある、世界中のありとあらゆる花がある。



欲しかったのは、ハーブの鉢植え。


全部の店を見て、

HAWAII でローズマリーとバジルの鉢植えを買った。

ここが一番安かったので。

しかし店員の対応は最悪。

でも、ここのいいところは、トイレがあるところ。

 HAWAIIのブーゲンビリア。

2012年10月23日火曜日

仕事をしよう

シンガポールへ来て1年がとうに過ぎた。

何かないかな、やること。

英語がダメだから、難しいね。

マンゴスティン(日本語無料情報誌)に載っていた、求人広告に応募してみた。

日本語だけでいいって。

試用期間(1ヶ月)は、時給5.5ドル。

その後7ドル。

ボスの他、アルバイトは私を入れて女性3人。
もちろん私が一番おばさんさ~。

とっても、のんびりした職場。

職場の出口から見た港の方。

2012年10月4日木曜日

シンガポール有機栽培農場見学(2)青汁栽培場

シンガポールでも、健康は、中年以上にとって
大きな問題だ。

日本では、大麦若葉の青汁が人気だが、
シンガポールでも、健康食品として、
オーガニック小麦若葉が栽培され、
冷蔵青葉、冷凍青汁、青汁粉末が販売されている。

KIN YAN AGROTECH PTE LTD

220 NEO TIEW CRESCENT
年中無休 9:00~17:00
日曜祝祭日のみバス925番が使える。

なつかしいこの風景。
農協勤務時代を思い出す。
浸水中の種。

並ぶ育苗箱。


 収穫。


 店舗に並ぶ粉末青葉。


その他、体にいいアロエ、サボテン、きのこ等もある。

自分で、小麦若葉を栽培するためのキットも売っている。
やってみようっと。

非常に美味しかったマンゴーアロエゼリー。



シンガポール、ウィークエンドファーム見学

 シンガポール中心地区からは、想像もつかない畑の風景が、
ここでは広がっている。

WEEKEND FARM

18 sungei tengah road
平日     10:00~16:00
土日祝祭日 9:00~18:00

日本の産直風景が、土曜、日曜、祝祭日に見られる。


平日も、見学ツアーでなければ、無料で見学できる。


オーガニックバナナ。
 きゅうり。
 これが、シンガポールだとは!

シンガポール有機栽培農場見学(1)

東京23区と同じ面積のシンガポールには、農場がある。

有機野菜という付加価値を付けて売る。

ここは、オーガニック野菜の宅配もする。

少量多品種の野菜や果物が入ったダンボール箱が、
配達を待って、並んでいた。

Fire Flies Health Farm


62 Lot 75 Lim Chu Kang Lane 2
年中無休  10:00am ~ 17:00pm.


 畑を見るのは一年ぶり。

美しいね。

牛糞の匂いがする。
でも、動物の排泄物は、肥料として使っていないと書いてあったから、
植物性の匂いも牛糞と似てるのかな。



こんな景色は、茨城の農村地帯と一緒。

2012年10月2日火曜日

シンガポール史跡ツアー

シンガポール日本人会が企画する、シンガポール歴史ツアー。

年に何回か企画されているよう。

39ドル。

とても面白い。

ガイドの、顔(がん)さんの話が特に。

今74歳だそうです。

最初の頃は、よくひどいホームシックになった。
 日本語が聞きたい、話したい。
でも、彼女が来た頃は、日本人がいなくて、
そうだ、浜辺に行って、歌を歌おう。
大声で、日本語の歌を歌ったんですって。

浜辺なら、誰も聞いている人もいない。
変に思われることもない。

ある日小原節を泣きながら歌っていたら(彼女は鹿児島出身)
「薩摩女なら辛くても泣くんじゃない。」
という声が聞こえて、
振り返ると、
どう見てもマレー人にしか見えないおばさんが
たっていたそうです。(マレーの腰巻を巻いていた。)
顔さんは、おばさんが、日本人だってわかると、
つかまっておいおい泣いて、おばさんは、そのまま泣かせてくれたんだって。

聞けばなんと、そのおばあさんは、唐ゆきさんだった人で、
マレー集落に身を潜めていたそうです。(敗戦後、からゆきさんたちは
日本へ戻ったけど、彼女はシンガポールに残ることを選択した)


シンガポール人と結婚して、44年間ここに住んで、
昭和42年からガイド一筋。

最初の頃は、もと兵隊さんたちの、
ツアーガイドが多かったそう。

元兵隊さんたちは、ブキティマの丘に来ると、
土を集めて袋に入れて持ち帰った。

「おお~い、○○(戦死した戦友の名)、日本に帰るぞ~。早く、
おれにつかまれ~。
肩でも、腕でもつかまれ~。日本へ帰るぞ~。」と、言いながら。
顔さん、手伝わずにはいられなかったって。


こんな話は、顔さんからでなければ聞けない。
彼女自身が、歴史。

このツアーは、ぜひ参加をオススメ。



また、彼女の息子さんも、
子供の時は、
「日本人、日本人」と、
学校帰りにいじめられたそう。
「本人は、『おれは、シンガポール人だっ、』って言い返してたようですけどね。」
と顔さん。
平和で、親日的なシンガポールにも、こんな時代が、
あった、 それも、つい最近まで。
ツアーの目玉はガイドさん