年に何回か企画されているよう。
39ドル。
とても面白い。
ガイドの、顔(がん)さんの話が特に。
今74歳だそうです。
最初の頃は、よくひどいホームシックになった。
最初の頃は、よくひどいホームシックになった。
日本語が聞きたい、話したい。
でも、彼女が来た頃は、日本人がいなくて、
そうだ、浜辺に行って、歌を歌おう。
そうだ、浜辺に行って、歌を歌おう。
大声で、日本語の歌を歌ったんですって。
浜辺なら、誰も聞いている人もいない。
変に思われることもない。
ある日小原節を泣きながら歌っていたら(彼女は鹿児島出身)
「薩摩女なら辛くても泣くんじゃない。」
という声が聞こえて、
振り返ると、
振り返ると、
どう見てもマレー人にしか見えないおばさんが
たっていたそうです。(マレーの腰巻を巻いていた。)
たっていたそうです。(マレーの腰巻を巻いていた。)
顔さんは、おばさんが、日本人だってわかると、
つかまっておいおい泣いて、おばさんは、 そのまま泣かせてくれたんだって。
聞けばなんと、そのおばあさんは、唐ゆきさんだった人で、
マレー集落に身を潜めていたそうです。(敗戦後、 からゆきさんたちは
日本へ戻ったけど、彼女はシンガポールに残ることを選択した)
つかまっておいおい泣いて、おばさんは、
聞けばなんと、そのおばあさんは、唐ゆきさんだった人で、
マレー集落に身を潜めていたそうです。(敗戦後、
日本へ戻ったけど、彼女はシンガポールに残ることを選択した)
シンガポール人と結婚して、44年間ここに住んで、
昭和42年からガイド一筋。
最初の頃は、もと兵隊さんたちの、
ツアーガイドが多かったそう。
元兵隊さんたちは、ブキティマの丘に来ると、
土を集めて袋に入れて持ち帰った。
「おお~い、○○(戦死した戦友の名)、日本に帰るぞ~。早く、
おれにつかまれ~。
肩でも、腕でもつかまれ~。日本へ帰るぞ~。」と、言いながら。
また、彼女の息子さんも、
子供の時は、
昭和42年からガイド一筋。
最初の頃は、もと兵隊さんたちの、
元兵隊さんたちは、ブキティマの丘に来ると、
土を集めて袋に入れて持ち帰った。
「おお~い、○○(戦死した戦友の名)、日本に帰るぞ~。早く、
肩でも、腕でもつかまれ~。日本へ帰るぞ~。」と、言いながら。
顔さん、手伝わずにはいられなかったって。
こんな話は、顔さんからでなければ聞けない。
彼女自身が、歴史。
このツアーは、ぜひ参加をオススメ。
また、彼女の息子さんも、
子供の時は、
「日本人、日本人」と、
「本人は、『おれは、シンガポール人だっ、』 って言い返してたようですけどね。」
と顔さん。
と顔さん。
平和で、親日的なシンガポールにも、こんな時代が、
あった、 それも、つい最近まで。
ツアーの目玉はガイドさん |
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