おもに、シンガポールでの生活を綴ります。

2012年10月2日火曜日

シンガポール史跡ツアー

シンガポール日本人会が企画する、シンガポール歴史ツアー。

年に何回か企画されているよう。

39ドル。

とても面白い。

ガイドの、顔(がん)さんの話が特に。

今74歳だそうです。

最初の頃は、よくひどいホームシックになった。
 日本語が聞きたい、話したい。
でも、彼女が来た頃は、日本人がいなくて、
そうだ、浜辺に行って、歌を歌おう。
大声で、日本語の歌を歌ったんですって。

浜辺なら、誰も聞いている人もいない。
変に思われることもない。

ある日小原節を泣きながら歌っていたら(彼女は鹿児島出身)
「薩摩女なら辛くても泣くんじゃない。」
という声が聞こえて、
振り返ると、
どう見てもマレー人にしか見えないおばさんが
たっていたそうです。(マレーの腰巻を巻いていた。)
顔さんは、おばさんが、日本人だってわかると、
つかまっておいおい泣いて、おばさんは、そのまま泣かせてくれたんだって。

聞けばなんと、そのおばあさんは、唐ゆきさんだった人で、
マレー集落に身を潜めていたそうです。(敗戦後、からゆきさんたちは
日本へ戻ったけど、彼女はシンガポールに残ることを選択した)


シンガポール人と結婚して、44年間ここに住んで、
昭和42年からガイド一筋。

最初の頃は、もと兵隊さんたちの、
ツアーガイドが多かったそう。

元兵隊さんたちは、ブキティマの丘に来ると、
土を集めて袋に入れて持ち帰った。

「おお~い、○○(戦死した戦友の名)、日本に帰るぞ~。早く、
おれにつかまれ~。
肩でも、腕でもつかまれ~。日本へ帰るぞ~。」と、言いながら。
顔さん、手伝わずにはいられなかったって。


こんな話は、顔さんからでなければ聞けない。
彼女自身が、歴史。

このツアーは、ぜひ参加をオススメ。



また、彼女の息子さんも、
子供の時は、
「日本人、日本人」と、
学校帰りにいじめられたそう。
「本人は、『おれは、シンガポール人だっ、』って言い返してたようですけどね。」
と顔さん。
平和で、親日的なシンガポールにも、こんな時代が、
あった、 それも、つい最近まで。
ツアーの目玉はガイドさん

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