一緒に行った5人の中に、名前が、インド系、
見た目、中華系のご婦人がいた。
そのことを問うと、
「そう、よく言われるのよ。顔は、中国人なのに、どうして名前はインド人なの、って。」
聞けば、なんと、
彼女の実父母は、日本人だった。
戦前、彼女のお母さんは、日本語教師として、シンガポールで、働いていた。
同じくこちらで働いていた日本人男性と知り合い、1942年、彼女が生まれた。
1945年、戦争が終わり、男性は、日本に帰った。
けれども、彼女のお母さんは、一緒に帰らなかった。
シンガポールに残ったのだ。
男性には、日本に妻子がいたから。
彼女とお母さんは、マレー語を話し、ニョニャ(マレーと中華の混血)を装って
暮らしたという。
日本人だとわかると、殺されたから。
だから、私は、日本語を話せない、と彼女は言う。
その後、彼女のお母さんは、インド系シンガポール人と結婚し、
彼女に弟ができた。
こうして、彼女の名前は、インド人の名前になった。
3歳までは、日本名で暮らしていたんだよね。
ニョニャとして、インド人として暮らした彼女の人生。
戦後、シンガポールに残る選択をした日本人は、
どれくらいいるんだろうか。
シンガポールガイドの顔(がん)さんが、出会った元からゆきさんは
その後どうしたのだろう。
インディアンロジャック |
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