おもに、シンガポールでの生活を綴ります。

2012年10月29日月曜日

シンガポールに残った日本人

先日、教会の婦人たちによる老人宅訪問があった。

一緒に行った5人の中に、名前が、インド系、
見た目、中華系のご婦人がいた。

そのことを問うと、
「そう、よく言われるのよ。顔は、中国人なのに、どうして名前はインド人なの、って。」

聞けば、なんと、
彼女の実父母は、日本人だった。

戦前、彼女のお母さんは、日本語教師として、シンガポールで、働いていた。
同じくこちらで働いていた日本人男性と知り合い、1942年、彼女が生まれた。

1945年、戦争が終わり、男性は、日本に帰った。

けれども、彼女のお母さんは、一緒に帰らなかった。
シンガポールに残ったのだ。

男性には、日本に妻子がいたから。

彼女とお母さんは、マレー語を話し、ニョニャ(マレーと中華の混血)を装って
暮らしたという。
日本人だとわかると、殺されたから。

だから、私は、日本語を話せない、と彼女は言う。

その後、彼女のお母さんは、インド系シンガポール人と結婚し、
彼女に弟ができた。

こうして、彼女の名前は、インド人の名前になった。

3歳までは、日本名で暮らしていたんだよね。

ニョニャとして、インド人として暮らした彼女の人生。

戦後、シンガポールに残る選択をした日本人は、
どれくらいいるんだろうか。

シンガポールガイドの顔(がん)さんが、出会った元からゆきさん
その後どうしたのだろう。

インディアンロジャック

0 件のコメント:

コメントを投稿